2008年5月28日水曜日

国内会議の英語化

 
徳島 5号館のつぶやき

最近は国内の会議においても,発表言語を英語にするところがあります.科学において英語が公用語だからと言って,日本語を手放すという行為に,私は大大,大反対.一番の理由は,極論ですが,ある言語を放棄するってことはその思考を放棄することと同じだからです.

数学を考えるにはこの言語,また哲学を考えるにはこの言語,というふうに各種の思考に適した言語があるという話しを聞いたことがあります.もちろん,日常的な生活ではそれは意識されないでしょうが,文化的な成り立ちで言語によって得意な思考体系があるとは思います.実際,英語は事務的に話をしたり,意思決定をするのに適している気がします.主語を明示的にして,結論から先に表現される言語体系は時に便利です.うまく考えがまとまることも多いです.

しかし,逆に言えば日本語思考によって得ているオリジナリティというものあるわけです.研究において,オリジナリティーは言うまでもなく重要な要素です.外部の情報にばかり目を向けていると,流行に流されてしまうこともしばしばです.時には,目も耳もふさいで自分の妄想に耽ることも必要なはずです.日本語で思考しているというオリジナリティーはもっと尊重されるべきことなきがしますけどね.

英語は使わざるを得ないでしょう.しかし,日本語を捨てることは得策ではありません.きちんとバイリンガルになればいいのです.

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他の論点から議論をすれば,学術活動の社会還元も理由の1つです.学術会議は,研究者のためだけのものではなくて,その背景にある社会にも還元されなくてはいけないはずで,日本の公用語が日本語であるなら,学内会議は日本語で行うことが道理でしょう.日本の公的研究機関は,まず何よりも日本語で情報発信しなければいけません.

この英語化傾向の1つとして,新しい学術用語を翻訳せず,英語の読みをそのままカタカナで表記することも増えてます(これをするくらいなら英語表記して欲しい).意味の良くわかる日本語に翻訳すると最初は逆に,違和感があったり,本来意味より限定的に感じたりします.ですが,適切な日本語の術語を創出していかなくてはいけないと思います.もしくは,言語には記号的な面もあるのですから,多少違和感があったとしてもそれを使い続けて普及させる.数十年後,その術語は大学の教科書に載るでしょう.もっと月日が経てば,小学校や中学校の基礎教育に登場するかもしれません.先端の研究は,科学教育の下部組織にささえられているわけですから,先端にいる研究者はそれをないがしろしてはいけません.

どの分野だったかは忘れましたが,昔,ある分野で日本の研究者がこぞって良い研究をして,世界の先端を走っている時代があり,その時はアメリカではわざわざ日本の学術雑誌を翻訳して発売していたそうです.産業界でも,多くの人が日本語を勉強するという一時代があったわけです.今はそうでなくとも,日本語で情報発信することで,これから日本が世界をリードしていくという気概もほしいものです.今なら,ヒューマノイドロボットの業界なんかは日本語で押し通すのも一案な気がします(なんとなく).

ある調査によると,ホームページに「Japanese only」という風に自国(この場合日本)の言葉だけで表記しています但し書きするケースがありますが,これは日本のホームページが圧倒的に多いそうです.他の国では,自分たちの言葉で表記するのが当たり前ですから,わざわざそれを書こうという事も思いつかない.この事例が,英語化推進に通じる平均的日本人の根底にある感覚を表しているのでしょう.

国内会議の英語化は,おそらく国内会議を発展させて国際会議にしようという思惑や,若手研究者の英語教育を視野に入れてことでしょう.もっと個人的なレベルで,国際会議で使った発表資料を使い回せるということを理由にしている人もいます.そんな些細で打算的なこと賛同する気にはさらさらありません.

英語は勉強すれば,外国に行って友達増えますし,楽しいですよ.でも,日本で英語しかしゃべらないのであれば,友達なくします.

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