2009年1月20日火曜日

博士号の経済的価値

 
ある大学の年俸制給料で,博士号を持っている場合とない場合で60万円の差がありました.博士号の価値を示す1つの指標です.

国公立大学では大学院の年間授業料がその程度ですから,5年働けば大学院に行ったもとがとれるということでしょうか.

これが安いか高いかと言えば,安いような気もしますが,企業ではどの程度の価値なのでしょうか.

大仰なタイトルの割に簡単な内容で相済みません.


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2009年1月16日金曜日

夏侯淵のように.

 
「蒼天航路」という三国志をもとにした曹操が主役のお話しがあります.

その中に曹操配下の武将である夏侯淵が出てきます.弓の名人です.一介の武将ですから戦(いくさ)でどのように勝つか,もっと言えば自分に与えられた役割に思いを馳せれば良いのです.武将は戦を楽しみ,戦だけの世界に生きています.その口からは戦が語られるのみです.ところが,夏侯淵は次第に戦を超えて国を語り出します.

本来,戦は国を作るための手段ですが,戦の勝利だけを目的にして考えたとしても,兵卒や兵卒に食わせる兵糧,兵糧をつくるための屯田制度や農民,そして,それらに関わるすべて人間の家族を思いを馳せる必要が出てくるのです.さらには,それを永続させる制度を考える必要が出てきます.夏侯淵はそこに到ります.

 ##

「博士に行く学生が少なくなって困る.」
「修士で就職してしまう学生が多くて困る.」
「博士まで進学する学生だけをとろうかな.」
「博士まで行ったら学問の世界に進んでもらうしかないな.」
「博士の学生をどこかのポスドクに行かしたら僕の役割は終わり.」

どこかの教授達の会話です.

上から2つは,自分の研究を進めるために学生が必要だということを言っています.修士までですと,たいていの場合は1つの研究が論文になる前にその学生が修了してしまい,うまく引き継ぎができないと(大抵の場合は出来ないので)1つの研究自体が頓挫してしまい,業績に結びつきません.にもかかわらず,2年間の研究費や時間をその学生に費やさなくてはならないことが不満のようです.

3つめは,自分の研究が進んでくれれば良いということを言っています.研究が論文になり,自分の業績に貢献してくれる人員がいれば良いようです.

4つめは,企業などが博士をとりたがらない現状を言っています.5つめは,大学院での5年なりで学生を使ったら,次のポストまでなんとかすれば,最低限の責任を果たせた,と言っています.学問を職業としても,大学にあるポストの数だけを考えれば,数年の後に学問の世界にはいられない人も出てきますが,そんなことは知ったことでは無いようです.


科学を支えているのは,学問を生業にしている人達だけではありません.研究室では,論文には名の残らない技術員が働いています.秘書や事務員として事務作業をしてくれる方もいます.

さらには科学をするのにお金を出してくれるパトロンがいます.日本では,多くの研究者は実質的に公務員ですから,パトロンはみなさんです.科学は産業に結びつく技術という面と科学としてしか意味を持たない芸術の面があります.技術の有用性は多くの人が想像できるでしょうから省きましょう.科学の芸術という側面を考えた時,科学者はその芸術性を理解してくれる人間を育てる必要もあるのです.その点で,直接に科学を生業としなくとも,修士や博士過程で学んだ学生が社会で活躍してくれなくては困ります.より科学に近づいた学生が科学以外の社会で活躍して,科学の重要性を文化として成熟させてくれなくては,科学は成り立ちません.

先ほど挙げたセリフの5つめに「博士の学生をどこかのポスドクに行かしたら僕の役割は終わり.」があります.無責任だと思います.確かに,自分から離れた学生に対してまで責任を果たす必要はないでしょう.学生の側もその世界で自分の力でサバイバルしていかなくてはなりません.私は,個別の学生に対して責任を果たせと言っているのではありません.その様な制度を作り上げている責任を言っています.

学びたくて博士まできて,しかし博士まで来ると,科学の世界のポストは少ないし,企業へ就職する道も厳しいというのでは,賢い学生ならば博士など来るわけありません.科学の世界のポストが少ないのは仕方ないとしましょう.ですが,そこからあふれた時の受け皿は科学を携わっている人達が考えなければいけません.科学の世界がすべてを受け入れられない制度ならば,その外の世界も考えなければいけないでしょう.

科学は,1つの研究だけを見れば遅々としたものです.TVや新聞で報道されるているのをみると,なにやら素晴らしいことが発明されたり発見されたりしているように見えますが,多くの場合は飛躍して書かれています.大学院に来た学生は,研究の新鮮な楽しさと共に,まだわからないことだらけの実情に絶望するはずです.大抵の学生は,大学院に入る頃はまだ論文を十分に読んでいませんから,無邪気に空想を膨らまし,それが自分の手で実現すると思っているものです.しかし,大学院に入ってきた時に解明したいと思ったこと,その初々しい野心を実現しようと思えば,大抵は100年の単位で事を考えなければ実現しません.実際は空想には埋めなければいけない隙間だらけなのです.大計を描かなければいけない必然があります.大計を描けば,これまた必然,科学の周辺に目をやらねばならないのです.

 ##

夏侯淵は定軍山の戦いで劉備に敗れます.劉備は夏侯淵の亡骸を首を取らずに曹操へと送ります.亡骸とともに,一国の王を返す,という旨がしたたまれます.曹操は,この一文を以て夏侯淵が如何に戦ったかを知ります.



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2008年12月18日木曜日

政治のビジネスモデル

 

非正規雇用,内定取り消しと2つの雇用問題がメディアで大きく取り上げられています.これを機に良い方向へと向かっていくといいと思います.


ところで,社会制度を変えるためには,今回のように問題を顕著化させ,それを報道させ,世の中にその問題を問い,議論される,そして実効的な法制度の修正,という過程を経ることが必要.

しかし,問題の発生で不利益を被っている個人の力だけでは,裁判をおこすなど,問題を世に問うことに到らないこともしばしば.また,訴訟をしたとしても,世間にその事実が知られず,似たような他の事例に影響を及ぼせないことがある.社会制度を変えようとするならば,同じ問題の訴訟が有機的に関連づけられ,社会的問題として取り上げられる必要がある.

また,世間に問題を問うというときに,抽象的な法律の議論をしてもあまり理解してもらえないこともある.具体的な事例が必要で,それには問題の当事者が積極的に訴訟を起こして,闘ってくれる必要がある.目に見える対象が必要.しかし,前述したように,個人が訴訟をすることは経済的に,知識の不足などからも二の足を踏む.

一方で,当事者ではないけれど,このような問題に積極的にとりくんで社会をより良くしたいと考える人たちがいる.それが政治家.これまでの政治家のビジネスモデルは,地方や国の議員になり法制度を作成もしくは修正することが主.しかし,このビジネスモデルのデメリットは,個別の事例にとっては実際的な恩恵にはならないということである.法律が作成された頃には個別の事例は終了していることが多く,なにより訴訟しようという時が大変であるのにもかかわらず,その助けにならない.

  1. 個別の事例の助けになり,
  2. 個別の事例を有機的に結びつけ,社会問題化させ,
  3. その情報を政治家へと円滑に伝え,社会制度の改善をめざす

このような政治のビジネスモデルを妄想した.

 1.実際に問題を抱えている人の窓口となる.
 なにか問題があったときはまず,この会社に相談すればいいという窓口になる.
 それにより,これまでは顕在化しなかった事例を拾うことが出来る.
  ↓
 2.会社は,経済的,人的支援などを通じて,支援する.
 また,当事者に裁判を通じて闘ってもらうことを促す.
  ↓
 3.裁判の事例を分析し,社会問題を発見する.
 たくさんの個別事例が収集できるので,それを分析して,社会問題をあぶり出す.
  ↓
 4.報道関係者に伝え,世に問う.
 4.政治家にこのような社会問題があることを伝え,積極的な法制度の見直しを迫る.

おそらく,この過程を部分的に見れば既存の仕事に当てはめることが出来る.1は,法律事務所や自治体が担っているだろうし,3はジャーナリストがその役割を果たしている.

このモデルの核の1つは2.の過程にあり,不利益を被っている当事者にきちんと問題を顕在化してもらうかわりに,その支援をするということにある.核の2つ目はこれらの過程を体系化していることにある.この会社の採算をどのようにすればよいかはわからない.4のところで,情報料をとるか.

書いてみると,すでにやられている方がいるような気もしてきた.
やられている方がいたら,がんばってください.
陰ながら応援しています.


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2008年10月8日水曜日

追い風

 
女性研究者採用したら6百万円 文科省、増員狙い補助へ

女性には追い風です.研究者になりたい女性はうまく利用したらいい.お上の思惑はあるのでしょうが,その思惑とは別に自分が利用できると思ったのなら利用したらいいと思います.追い風がやんだ後も研究の世界で生き残れるために才能や努力や戦略が必要ですから,そのリスク管理も追い風に惑わされずにしっかりと行うことです.

一時前の博士バブルから時間が経ちバイオのポスドク問題が明るみに出ましたが,博士バブルの恩恵を受けて今も研究者世界で生き残っている方がいらっしゃるでしょう.どこの入り口から入ってきたとしても,それを後ろめたく感じる事はありません.強かに生きていけばよいのです.研究者として適していなければ生きていけないとすれば,逆に生きていれば適者なのでしょう.頑張って欲しいものです.

上の発言,ポスドク問題をないがしろにするわけではありませんので,悪しからず.


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2008年9月20日土曜日

あげあしとり

 
「学校というのは真理を追究する場ですから、「不正確でもだいたい伝わればOK。むしろ正確であっても伝わらないのであれば、その論文は世の中に存在していないに等しいので書く必要なし」などという教え方はしないのです。」(なぜ「勉強はできたのに仕事はさっぱりな人」がいるのか? ~「勉強と仕事は違う」プロブレムについて~

大学では,確かに「不正確でもだいたい伝わればOK」とは教えませんね.ですが,「正確であっても伝わらないのであれば、その論文は世の中に存在していないに等しいので書く必要なし」です.正確に書く事が最低限基準で,さらに面白く書かなければいけないから研究者は苦労しているのです.とくに,nature,scienceクラスの論文となればことさらです.natureは商業誌で,読者には一般の方もたくさん含まれています.「不正確でもだいたい伝わればOK」とは,如何ような物言いでしょうか.間違って伝わる可能性がそれほど良いのでしょうか.(いや,確かに「不正確でもだいたい伝わればOK」というのが日常の大半です.そうでなければ窮屈で生活ができません.)

情報の伝達と正確さは両立することであり,いやむしろ,正確さがなければ正確に伝わらないのはあたりまえでしょう.


問題の本質は,学問の社会では他の社会の方からすると過度に思われるような論理的厳密さが求められていますから,他の社会に出た時はその社会の基準に合わせる必要があるという事です.誤解しないでいただきたいのですが,これはどちらが優れているかという問題ではないのです.社会での仕事は,時に論理よりも行動が実効的であることは,社会のみなさんが一番実感されているでしょう(科学の社会でもそうです.とりあえず実験してみたら良いという事はあります.).

行動者には論理が無くて「も」良いのです.スポーツを見ればすぐわかります.行動して成功すれば良いのです.もちろん論理があれば行動を補助できるでしょうが,第一義でありません.本当か知りませんが,サッカー選手はアイコンタクトで意思を疎通することがあるといいます.そうだとすれば,サッカー選手から見れば,他の社会の方は「何を悠長なことをしゃべっているのか」という事になるでしょう.思考と行動の平衡がそれぞれの社会で異なるのだと思います.

自戒を込めて良いますと,教育関係者も自分たちの社会の基準が絶対ではなく,「適応的であれ」ということを学生に伝えるべきでしょう.時に,自分たちがやっていることがそのまま他の社会で通じると傲慢に思いがちです.お互いに相手の社会との差異を認めてることが重要だと思います.


最後に,この方の思考過程は間違っていると思いますが,結論はあっていると思います.

ちなみに,普通の日常では,過程が間違っているのに結論があっている,そういう事が往々にしてあるから,その思考過程は厳密には問われないのでしょう(もしくは問わなくて良いのです).私の文章はあげあしとりの類ですが,ただ,安易に「大学と社会は違う」という典型的な問題構造に落とされてしまうと,教育関係者はかなり迷惑でもあります.

この方の結論の一部ですが,

「「読者」についての考え方を変えることで、書類や話し言葉の質が大きく変わってきますヨ!」
「気持ちがこもっていないからではなく、テクニックがないから読まれない」
その通りだと思います.それぞれの文章を読む読者は異なるのです.


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2008年9月17日水曜日

いろいろな博士

 
以前から博士課程学生の進路について言及しておりましたが,最近,医学や薬学では博士課程の事情が理学工学系とは異なることを知りました.

医学では,少なくとも私のいる大学では,修了要件さえ満たせば学位論文は出さなくていいようです.博士課程に入学してくる方も一度研修や臨床を経てから,30歳前後で入学という方も多いようです.時には,週の半分程度は医療者として働きながら通学するという方もいるとか.取得目的も,必ずしも研究者になるためというわけではなく,医療者として戻っていく方も多いようです.

薬学は一風変わっていて,製薬会社が博士号取得者を積極的に採用しているので,修了後に大学への進路よりも企業へ行く方が多いとか.確かに,製薬会社は膨大な研究費をつけていますから,納得がいきます.ただ,これはある大学の方から聞いた1つの例です.

医学,薬学は,ひとつ博士号取得者の流通が確保されているのが特殊に思えました.



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2008年9月3日水曜日

政治と科学

 
09概算要求/科学技術関係費、14.3%増-環境・少子高齢化対応

来年度の科学技術関係費が増額されるかもしれないとのこと.国の科学予算は,当然ですが,政治家が決定します.政治,経済が科学に大きな影響力を持っています.小泉さんが首相でした頃は,ある意味で科学バブルだったわけで,博士号取得者も多く生まれましたし,natureやscienceといった一流科学雑誌に日本人研究者の論文が載る事も多くなりました.そのツケによって今はポスドク問題なども発生しているわけですが.

ところで,9月1日に福田さんが首相を辞任したとの事.防災の日にかけて,下記のような皮肉も生まれています
 防災の日─今年は未曾有の人災に備えた訓練も・永田町

さきほど,「政治,経済が科学に大きな影響力を持っています.」と言いましたが,関係しているのであれば,一方通行である事はありません.回りくどい言い方をしましたが,「科学も政治,経済に大きな影響力を持っているのです.」.

脱線しますが,スポーツも政治と無関係ではありません.スポーツの世界では,政治の世界の話をもってくるなという潔癖な発言をされることがしばしばありますが,それはとても幼稚な発言です.政治はスポーツに大きな影響を与えます.しかし,スポーツが政治に大きな影響を与える事もできるのです.1つの例は,近代五輪の精神でもある大会期間中の停戦があります(今回は見事に破られました.声明を出すなりの措置を執らなかったIOCは全くの腑抜けと言わざるを得ません).スポーツが政治とは無関係である事を主張するよりも,スポーツが政治に影響力をもつことがスポーツのすばらしさを表している,と私は思うのです.

アメリカでも大統領選のまっただ中です.アメリカの科学者のなかには,露骨に政治的な発言をする方もいます.それは,政治と科学が関係している事をつよく意識しているからでしょう.日本では,科学者は政治的な発言をすることはあまりありません.もっと言えば,その手の発言を避けるのではないでしょうか?政治はきな臭い面もあります.発言によっては命の危険を感じる事だってあるでしょうから,仕方のない部分もあるかもしれません.ですが,世界一安全な国(あくまで経験論ですが)ならば,科学者ももう少し政治の話題をしてもいいのかなと思います.単純に科学に予算をたくさん割いてくれる政党に一票という科学者がいても良いでしょう.私は,国の運営において科学が優先順位の1位とは残念ながら思えないので,その様にはいかないのですけどね.

総合的に考えて自民党は一度与党から降りるべきでしょう.自民党のやることに逐一反対する民主党も幼稚に見えるのですが,幼稚さに目をつむって変化をのぞみます.私達が端的に影響を与える事が出来る早く総選挙が行われる事を願うばかりです.



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